小説本文



私と綾(あや)が務める商社は、都内S駅近くにある。


 不倫 ・・・ 当事者の連絡手段は、今はメールが主流だ。
 しかし、私達は昔のドラマのようにメモを使い、仕種を合図にする。
 メールだと履歴の削除を忘れた場合、妻に見られる可能性もある。
 でも それ以上に、メモの受渡し、合図の交換をする時のスリルがいつのまにか病み付きになってしまったからだ。
 廊下で綾にソッとメモを渡す時、そして社内のどこかでその返事をもらう時 ・・・ 私の心の中に暗いさざ波が立つ。
 OKの合図が出た瞬間・・・その時から私達の情事は始まっているのだ。
 

 この日の夕方、昼間 綾の手に握らせたメモの返事が返ってきた。
 喫煙室の壁にもたれ、私はタバコの煙を吐き出した ・・・ “今夜はどうなんだ?”
 向こう側の自動販売機からコーヒーカップを取り出した綾が、栗色のショートヘアーの髪を掻き分ける。
 右の耳たぶを触(さわ)れば “今夜はOKよ”
 左の耳たぶを触(さわ)れば “都合が悪いの”
 遠目にチラッと私を覗いた彼女の手が、スッと右の耳たぶに触れた。
 どうやら彼女の気持ちも、準備に入っているようだ。


 残務をこなしながら、頭の中に黒い妄想が湧き上がる。
 今夜はどんな事をしてやろうか ・・・ そして どんな事をしてもらおうか ・・・。
 たしか 綾は生理前。
 そんな時の彼女は、従順なメス犬になりたがる。
 私の前でイヌの格好をさせ、陰部とアナルを開放しておねだりをさせてやる。
 その白くて大きい尻を振る仕種に、おあずけを食らわせてやる。
 そしてもったいぶりながら硬くなった私の欲望を、どちらかの穴にぶち込んでやる。
 もちろん後始末は、赤くて薄く可愛らしい唇だ。


 誰も知らない綾の裏の顔 ・・・ 私はズボンの膨(ふく)らみを気にしながら社内を見回してみる。
 お前も、あなたも、誰も知らないこの女の本性。
 同僚達にニコッと微笑む私に、終業の時間が近づいていた。


 今夜の待ち合わせは、H駅裏手のとある場所だった。
 薄汚れた雑居ビルの前。
 再開発から取り残された古い街の仄暗(ほのぐら)い電灯の下、一人の女の姿が眼に映る。
 まだまだ寒さが残る春の夜。
 薄い紺のスーツの上からコートを羽織った女。
 綾である事を確かめ、私はゆっくり近づいた。


 女の後手は数軒のラブホテル街。
 小便臭い薄汚れた街の雰囲気と、それに似合わない清楚な女。
 そのギャップが私の脳みそにドス黒い欲望を与えてくれる。


 綾が私に気が付いた。
 「あの・・失礼ですが・・あなたの様な綺麗な方が、こんな暗い所で何をしてるんですか」
 役者掛かった私の声。


 「・・・・はい・・・実は・・どなたかに私(わたくし)を買って頂こうと・・・・思って・・」
 背筋がゾクリとする程なりきった声。
 私はニヤッと笑いながら手を取った。


 「行こうか・・・」
 「はい・・・・」


 肩を寄せる綾の瞳には、もう陶酔の色が浮かんでいる。
 私達は中でも一番汚れてみすぼらしい建物の門を潜(くぐ)った。
 今夜の二人に“一番ふさわしい場所” ・・・ 欲望だけを吐き出す場所 ・・・ そんな表現がぴったりのラブホテル。


 エレベーターに乗り込んだ私は女の耳元で囁いた。
 「・・・言っとくけど 俺・・変態だよ」
 「はい・・・私もです」


 「そうか・・・じゃあ 女、今夜は俺の事を “ゆう様” と呼べ」
 「・・・・・はい」

 
 “ゆう” ・・・ それは妻のまゆみが今だに使う、私の呼び名だった。
 付き合い始めてから、結婚して子供が大きくなっても変わる事の無い呼び方 ・・・ “ゆう”。
 そうなのだ・・・・・。
 私は妻に出来ない事、したい事、そしてしてもらいたい事をこの女にやらせるのだ。
 綾を妻に置き換え、私は黒い欲望を満足させるのだ。
 そしてその事をよく心がけている女 “綾”。




 今夜も私達は“プレイ”を楽しんだ。
 最後のシャワーを終えると、彼女の顔はやっとまともになっている。


 「今夜の課長も凄かったわ」
 「はは 君だって・・・・それとこんな所で課長なんて・・・歳も一つしか違わないのに」
 綾がバスタオルを巻いたまま、口にしたタバコに火を着けてくれる。


 「まだ 奥さん・・・・まゆみさんとはセックスレスなの?」
 「んん、毎回同じ事を聞くよね・・・・・そうだよ2年くらい無いよね」


 「私と“こんな関係”になるちょっと前はセックスしてたんでしょ?」
 「ああ、前にも言ったと思うけど、その頃 “ある人”から刺激的な小説をプレゼントされてね」


 「うふ 奥様が売春婦に堕ちて行く話でしょ?」
 「ああ そうだよ」


 直ぐに頭の中にまゆみの痴態が浮かび上がってくる。
 肩までスラッと伸びた薄く茶色掛かった髪、赤く薄い唇、そして何よりも自慢な大きな胸の膨らみ。
 左手の薬指に奴隷の証(あかし)の指輪をはめ、森川(ヤクザ)の命令に卑猥なポーズを決めるかおり(まゆみ)。
 全裸のまま四股を踏むように立ち、薄い陰毛を掻き分け陰部を披露するかおり(まゆみ)。
 タバコを吹かす私の瞳に黒い糸が線を引く。


 「うふふふ 今 奥さんの卑猥なポーズを想像したでしょ?」
 綾がそれ以上に卑猥な微笑を向けてきた。


 「ゆうじさん、もう一回する?」
 「・・・・・・・・・・」


 「今日はアナルでしてないから・・・ソコでする?」
 「・・・・・・・いや、遅くなっちゃうから」


 「・・・・・・・うふ、そういう心配をするところはマイホームパパなのよね」
 綾が微笑んだ。


 そろそろ今夜も女優の時間に、終わりが近づいている。
 しばらくして私達はホテルを後にした。